阪神タイガース

いまさらパブリックに語るべきことは多くない、言わずと知れたプロ野球球団。関心空間が閉鎖される前に、阪神タイガースへの思いをまとめておかねばと思い投稿する。

僕にとって阪神タイガースのピークは、なんといっても1985年、史上最強のバース・掛布・岡田のクリーンナップをもって球団初の日本一に輝いたあの年と言って間違いない。その後も阪神ファンを続け世代交代した90年台、星野の2000年代初頭と、ピークはあった。楽しませてももらった。しかし、85年が最も熱く、いわばその後20年近くもファンで居続けさせてくれた理由であることは明白である。

あの年の神がかり的な阪神タイガースを知っている人は、たとえ敵チームのファンであれ、あの時の阪神はすごすぎたとTigers ‘85への畏敬の念を示さずに入られないほどの凄さであった(半径5m調べ)。最強クリーンナップにバックスクリーン3連発を食らった槙原&巨人、9回に7点差をひっくり返された大洋、先頭打者真弓にバンバンホームランを打たれ続けたセリーグのピッチャーなどなど(その後プライベートで私は真弓という女性と結婚したのも、この年の真弓の活躍なしには考えられない)、そして、シーズン最多本塁打三冠王に輝くことになる神様、仏様、バース様。まだ高校生だった僕の目を引いたのは、派手な打線ではなく、抑えの切り札、中西と山本、そして抑えの福間、やんちゃな仲田や伊藤なんかもすごく覚えてる。西武を下して日本一の優勝投手になったゲイルに至っては、その後ユーコン川水曜どうでしょう班と一緒に下ったピートではないか疑惑など、話題には事欠かない個性的な面々。

ともかく見ていて楽しかった。なんども球場に足を運び、幸いにも優勝を決めた10/16の神宮、そして日本一を決めた11/2の所沢、その両方を体験することができたという幸せも、その後の阪神ファンとしての原動力となったのは間違いない。あの日、神宮を埋め尽くした阪神ファンとライトスタンドに少しだけ見えたヤクルトファンを忘れない。西武球場からの帰りに黄色い電車で歌った六甲おろしを忘れない。

その後の阪神タイガース、ずっと応援はしてきた。90年代のヤングタイガース、ぱっと頭に浮かぶのは亀山、久慈、矢野。こぶりながら頑張る姿に応援しつつも、球場から足が遠のいたのもその時期。92年の函館を最後にしばらく間が空いた。

復活したのは新庄。彼の存在が阪神ファン魂に日を再点火させた。野村監督のわけわからない理屈も楽しく、そこからつながる星野監督時代への助走だったのか。新庄がメジャーへ挑戦というあの時期は、WWDCのためにカリフォルニアに行くタイミングで試合がないか、かなり真剣にスケジュールを調整したものだ。そしてSFジャイアンツに在籍中の2001年だったかな?タイミングよく試合のチケットが取れたものの、新庄、怪我してしまって残念ベンチ、という観戦の日があったことを、書いていて思い出した。未だにあの日ちらっとベンチからハイタッチしてたのが新庄ではないか、という気持ちでもやもやしている。

2002年からの数年間は、また楽しく阪神ファンをさせてもらった。やはり強い、というのは絶対の正義。星野監督ありがとう、基礎を作ってくれた野村監督ありがとう。そして阪神ファンとして最後に尊敬すべきプレイヤー、金本という偉大なバッターを見送りながら阪神ファンをフェードアウトしていくことになれて、これはもう、自分がすでに阪神ファンではないと言っているようなものなのであるが、最後に金本兄貴を応援できて幸せでした(BL?)

自分、やはり野球好きから始まっていないのだなぁと今にして思います。なぜ阪神だったか。花形満がいたから。兄貴が阪神ファンだったから。横浜球場の外野の阪神ファンが楽しかったから。野球ではなくストーリーに魅力を感じて楽しんでいたんだなぁと、振り返ってみて思います。そのストーリーが今のところ見つからないのが残念、という感じな今の心境。

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関西